Boku_to_Kimi 世界一の日記

コンサルタント必見「ビジネス個性を大切に」をテーマに、現役コンサルタントたちが曝け出す苦悶の協奏曲

草原に立つ しゃべりすぎコンサル

話が異様に長いコンサルタントの 話している間の心理状態を紐解いてみる

 

「う〜、おれの話、質に自信がないから、とにかく量でカバーするしかないんだよな。若干周りがイラついているように見えるけど、まあ寡黙よりかはいいか。よく喋る方が明るく見えるし 福も来るだろう。 相手も接しやすいだろうしな。このまま話つづけよう!」

→ これは 就職活動中の学生にいそう

 

「両親も話長かったし、これは遺伝なんだろーな。でも話が長いといいこともあって、話がまとまらないから 逆にトラブルになりにくいんだよねー。このミーティングも若干気まずい雰囲気だから、こういう時こそ話がまとまらないように このまま話を続けよう!」

→ こんなコンサルいたら ミラクル

 

「話長い人に 俺あこがれんだよねー。なんつーか、生きてるって感じ。その場を支配してて まるで百獣の王って感じ。象の鼻も きりんの首も長いし。最近 ようやく俺も話が長くなってきたから すげー成長を感じてる。よっしゃ、まだまだ話を続けるよー!」

→小学生からやりなおし。象の鼻は関係ない。

 

「そりゃ自分で話長いってわかってるんだけど、だから?みたいな感じ。なんでもかんでも欧米かぶれに、短く簡潔に という必要ないでしょ。俺ら日本人なんだから、わびさび とか もののあはれ とか忘れちゃいけない精神あるよね。事実 源氏物語なんて めっちゃ長いでしょ。さて、俺の源氏物語はまだまだつづくよ〜」

→意外にいるか?いや、いない。

  

「ちょうど今読んでいる本の知識がドンピシャはまってるんだよね〜。いえーい、この話題で一気に今日の主役になるぜぃ。とにかく俺しか知らないホットなネタだからな。残りの時間全部使ってでも、みんな俺の話を聞きたいっしょ。今はみんなイラついているようだけど、もう少し話を続けていれば、みんなの目がキラキラしてくるぞ ヒュー!」

→意外にいるか?いや、いない。いや、意外に多いかも。

 

どんな理由にせよ、話は簡潔の方がいいとペリーは主張します

 

終わり

 

 

 

限りなく透明に近い「怒り」

プライベートな生活での怒りは赤や黒や紫のドロドロした色だが、ビジネスでは皆仮面を被って生きているため、ビジネスシーンでの怒りは限りなく透明に近い。

 

クライアントや上の人から 理不尽なことをごり押しされ お前死ねという怒り

本気で取り組む気がないのに 細かい重箱の隅をついてくる奴への軽蔑じみた怒り

困っている時に理屈・正論ばかり言って来る奴への それが出来たら苦労しないんだよボケという腹の底から湧き出る 制御不能の怒り

情けない失敗をしてしまったときの なぜなんだなぜなんだという哀愁漂う自分への怒り

一生懸命説明しているのに 相手に理解されない コイツバカか?でもひょっとしたら自分がいけないのかも という苛立ちと焦りの怒り

問題が明確なのに 何のアクションを取ろうともしない相手への失望に近い怒り

全くリスペクトできない人との会食で 機械仕掛けの人形みたいにヘラヘラ笑っている自分への自己嫌悪と悲劇の主人公気取りの自己満足が入り混じった 人間の自己防衛本能から来る 文学的な怒り

理由は分からないが 無性に国や社会に腹がたつ 青臭い青春の怒り

すごく頑張っているのに それが相手に伝わらず評価されない よくある一般的で根が深い怒り

あと3分で会社を出ないと会議に間に合わない時にプリンターが紙詰りして印刷できない 日頃の行いの悪さを反省しながらも 直前に使った奴やプリンターメーカーに矛先が行く 迷惑な怒り

クライアントからボロクソ言われ 次回は絶対に黙らせたる という反骨精神たっぷりの健康的な怒り

自分が辛い時に やたら幸せそうにしている奴を見た時の 単なる嫉妬の不純な怒り

朝 体がだるいのに 会社に行かないといけない 学生時代に戻りたいというノスタルジックな怒り

息抜きに偶然Youtubeで大地をかけぬける美しいチーターの姿をみたときに それに比べて人間は如何にちっぽけな存在か・・と思わず嘆いてしまう 誰も傷つけない無味無臭な怒り

 

透明な怒りというものは 本来ストレスにならなず 人に成長をもたらす。コンサルタントはもっともっと透明な怒りをすべきである。

終わり 

グッバイ経験値至上主義 第5話

グッバイシリーズは 直感的に良いと思ってきた哲学的な概念を 多少強引な論法で書き進めながら方法論まで落とし込んでいく、まるで平日の深夜にやる3000ピースのジグソーパズルのようなもので、とてもエネルギーを要する。少し時間が空いてしまったが 遠く北海道の地より 広大な大地のパワーを拝借して 続きに着手する。

 

前回までの要諦は「人材流動化・情報民主化・AI進歩、そういう時代にあって 今後コンサルタントを名乗る者は ビジネス個性の発揮がKeyになる。ビジネス個性を自覚し伸ばすためには、呼吸をするような自然の営みとして、いつも自分と相手と世間に対して、それ真実なの?あるいはそれ楽しいの?という否定の投げかけをしよう。特に自分への その仕事、やってて楽しいの?この投げかけは重要」

さて今回は 「好きなものにこだわれと言われてもコンサルの現場では現実的に難しいよね」という至極当たり前だけど、教科書や研修では教えてくれないことを考えていく。

 

まず 好きなことをやるためには、「嫌いなことを見つける」ことから始めるべきだ。いわゆる、戦略=「何をやらないか明確にすること」と同じ要領だ。いきなり好きなことを見つけるのは至難。なぜなら、仕事そのものは本来「嫌いなもの」であり、その中から「好きなもの」を見つけることは、大量のゴキブリの中から飼うとしたらこのゴキブリが一番ましかな というものを特定するに等しいからだ。その点、嫌いなものを自覚するのは比較的簡単だ。どれだけ金もらってもこれだけはやりたくない というものを見つければいい。ここは仕事だからと言って畏まらず 自分に素直になっていいところ。人との相性と同じで、生理的にダメ 本能的にダメ そういう感覚でいい。

 

さて、「これだけは嫌だ」という仕事あるいは作業を自覚したら 原則それはやらないと腹を決める。上司にも同僚にもそれを宣言すべきだ。その宣言を聞いても マネージャーとしてその仕事を振らざるを得ない場合も希にはあるだろうが、通常はそうではない。宣言者に嫌いな仕事を降るのは、来月退職を決めている奴にタスクを振るのと同じくらいリスキーだからだ。

 

とはいえ、「宣言」には勇気を伴う。「わたしは右ローキックは出せませんから」と宣言してリングに上がるキックボクサーと同じ。当然、右ローを補って余りある「必殺技」が必要になる。格闘家と同じで、コンサルタントが必殺技を身につけるのは一朝一夕にはいかない。ここで にわとりと卵の問題がでてくる。「必殺技を習得後に宣言をするか」 「宣言してから必殺技を習得していくか」。迷うことなかれ、後者だ。まず宣言しろ、それで不利な戦いの中で苦労しながら、自分にしかできない必殺技を習得するんだ。宣言した瞬間に、プロジェクトからリリースされるかもしれない。短期的には社内評価が下がるかもしれない。長い目でみれば、それは必ず通る意義深い苦行と考えればよい。宣言せずに 毎日遅くまで残業しながら合わない仕事をゾンビのように繰り返すくらいなら、いっそ宣言して 背水の陣で望む 高潔な騎士になる方を選ぶことを自信を持ってお勧めする。

 

さて5話続いたグッバイ経験値至上主義シリーズはここにて終了だ。今回の5話は、最近、伊豆の踊り子を読んだせいか、少し情緒的な表現や比喩が多くなったこと ペリー的には大いに笑えるが、最後の主張である「嫌い宣言メソッド」、みなさんにとっては 使えるものになっただろうか?いきなりやれと言われても難しいかもしれないが 心にとどめておくだけでも意味はあると思う。コモディティ化しつつあるコンサルサービス、その中でどう戦い選ばれていくか、生々しい話としては時給単価を上げていくか。クライアントに戦略を授ける前に自分自身の戦略を考えていこう。

グッバイ

 

 

 

 

ニヒコン 最強にして最弱説

「ロジカルコンサル」と「ニヒリズムコンサル」が同じチームにいると こうなるという実話。

ある営業改革プロジェクト、 翌日のクライアント会議に向け  若手コンサルたちが 喧々諤々 熱いディスカッション。

 ロジコンX:「A案、B案、どっちを提案すべきか?」

ニヒコンY: 「どっちでもえーやん、大した差はないだろ。もう深夜3時だぞ。かえろーぜ」

 ロジコンX:「何いってんだよ!俺らの世界に どっちでもいい なんてことはありえないから。ちゃんとプロコンで決めないとダメだろ」

ニヒコンY: 「意味ねーわ。そもそも こんな遅くまで考えている俺らが お互いに説得しあえないんだから たいした論点でないって証拠だろ。かえろーぜ。」

 ロジコンX:「いや、ありえないから。明日の会議、どうするんだよ。曖昧なままにしたら クライアントに失礼だろ」

ニヒコンY: 「は?何言ってんの。寝不足で疲れた状態で 会議やる方が失礼だろ。俺がクライアントだったら 疲れ切った奴らとミーティングしたくないね」

ロジコンX:「・・・・。もういいや。自分で考えるわ」

ニヒコンY: 「おいおい 待て待て。そもそも お前は 何のために 仕事してんだ? もっと 人生の意味をロジカルに考えろよ。」

ロジコンX:「・・・・。いやもういいよ。」

ニヒコンY: 「いやいや ダメだ。 徹底的に考えろよ。 お前 どういう人生設計してるんだ? 何のために仕事してんだ?」

ロジコンX:「いや、もういいって。早く明日の準備しないと。」

ニヒコンY: 「人生のゴールが決まってないのに、 明日の方向性が決まるはずないだろ。逃げるなよ」

ロジコンX:「・・・・。いや、ホントもういいから。」

マネージャーZ:「おい お前ら。こんな時間まで 何やってんだ??」

ロジコンX:「いや、、実は かくかくしかじか でして。」

マネージャーZ:「わかった。明日はここは決まってなくていいから、もう早く帰れ。」

ニヒコンY: 「ほらみろ、言った通りだろ」

マネージャーZ:「ニヒコンY、お前は残れ。ちょっと話がある」

ニヒコンY: 「え・・・・、ボクは ただ明日をいい日にしたかっただけなんすけど。。。」

終わり

嫌いな単語 圧倒的第1位

”お客様”

この単語だけは絶対に使わない 正直、仲間や同僚が使うのも聞きたくない

それほど ペリーにとっては 嫌いな単語だ。

この単語を使う君 その瞬間 どういう気持ちでその単語を発しているのか?

そういうように教わってきたから?そう言っておけば誰にも怒られないから?あるいは、単純にお金をくれる相手だから?

人間にとって言葉は重要だ。使う言葉ひとつひとつ 雑にすると 己の心が淀む 軸がぶれる 本心が見えなくなる。

”様”という立場の階層を表す単語を 何も考えず 習慣的に使うことを ペリーは許さない。特に コンサルタントという肩書きで、自分の胸に値札をはって、日々仕事をするものは 安易に使ってはならない。

 

「消費者」という単語 最近はめっきり聞かなくなった。インターネットが普及する前は、みんな消費者と呼ばれていた。メーカーからの一方的な広告・マーケティングに踊らされて 盲目的に金を払った。「消費する者」というのは どうみても崇高なものではなく卑下された言い回しだろう。今の時代、そんな卑下した見方では、全く相手にされない。SNS、口コミでニセモノはばれる。買う側の目がこえ、売る側と対等、あるいはそれ以上になった。だから自然と「消費者」は使われなくなった。

この変化は、B2Cに限ったことではない。B2Bも同じこと。選ばれるのはとてもシビアになった。昔ながらの「よく分からないけど なんだか安心」というプレミアムは存在しえない。本物が選ばれる。逆に言えば、選ばれる企業は、ホンモノを提供することをコミットしている。そこに金を払う側と貰う側に上下関係はなく、フラットな関係、つまりパートナーだ。夫婦みたいなものだ。妻が夫から金をもらってると意識してる夫婦はうまくいかない。

 

いけてない会社ほど 「お客様」を多様する。口ではパートナーと言っておきながら、要するに自信がないのだろう。自分たちが提供する価値に自信がないから お客様お客様と言って 金を払ってくれる相手を敬う。「旦那様 旦那様 旦那様」こういってるのと等しい。気づいたか?これは召使いが言うセリフだ。

 

「召使いのマインドのくせに、妻のフリして夫に高額な指輪のプレゼントを要求する」

そんなコンサルは銀河系で仕事するのは諦めろ とペリーは言っている。

終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

風景画に学ぶ

写真技術がこの世になかった18世紀以前

その時代の風景画は なぜかすごく惹き込まれる

油絵で滅茶苦茶 精巧に描かれていて 一見すると写真のようだが 何かが違う

すごく近くで見てみる

風に揺らぐ草の一本一本 牧場みたいなところで井戸端会議にいそしむ女性たち その回りで遊ぶ子供や犬

個々のパーツには全く違和感がない むしろ ここまでリアルなのか 驚くほど

う〜ん 何かが違う なぜか見を離せない なぜだ なぜだ

作品をいくつか注意深く見続けたら ようやく 分かってきた

どれも 微妙に絶妙に 「遠近感」がずれているのだ

山間に見える遠くの風車 精巧に描かれているんだけど よくよく見ていると「普通この山の位置関係だったら 本当はもう少し小さいはずだよね」近くに描かれた牛も同じ。これ全体感と比較して 微妙にでかくない? みたいな感じ。

意図的にそうしているかは分からない。

1つ確かなこと

写真がない時代は 客観的な風景は存在しない

写真がない時代は 個人個人のフィルターを通して見る 主観的な風景しかない世界

客観的な風景を知ってしまった現代人には絶対に描けない 「天然の遠近感のずれ」

これだ  魅力の秘密は。

現代人よ  もっともっと自分のフィルターで世界をみて 人を惹きつけよと つまりはそういう話だ。

終わり

 

 

 

軍隊アリのマーケティング

軍隊アリを知ってるか?

一般のアリと異なり巣を作らず軍隊のように隊列を組んで前進し、目に付いた獲物には集団で襲いかかる獰猛な習性を持つらしい。

要するに超体育会系で、理由とかそんなものは関係ない。目の前にいる仲間にどこまでも付いていき、敵をぶっ殺す。

ところが、そんな習性があだになることがある。

アリの隊列が円を作り、死ぬまで延々と回り続ける「死の渦巻き」という行動に入ってしまうことがある。

一度、死の渦巻きが始まると、体力を消耗しくして全隊が死ぬまで続けるらしい。

恐らく、目の前の仲間がつけるフェロモンに従っての周回行動だが、それにしても死ぬまでとは・・・。

www.youtube.com

これを聞いて 「やっぱ下等生物だな」と思ってはいけない。

むしろ「こいつらのマーケティング力はすごい」とみるべきだろう。

なぜって もし、自分が虫業界の一員だったら・・・

この死ぬまで回り続ける最強軍団のエピソードを聞いただけで、震え上がってしまう。

何があっても 絶対に怒らせてはいけない 虫業界でそう広めるための最強のマーケティング活動ともとれる。

コンサルもかくありたいものだ(滅茶苦茶なまとめ方とは自覚しているぜ)

「あいつらに仕事頼むと、死ぬまで考え続けるらしい。すげーブラック。。。でも頼むなら やっぱあいつらしかいない!」と世間に思ってもらえたら、以後100年案件には困らないだろう。

終わり